2005年のJリーグ ディビジョン1
シーズン | 2005 |
---|---|
優勝 | ガンバ大阪 |
降格 |
柏レイソル 東京ヴェルディ ヴィッセル神戸 |
ACL2006出場 | ガンバ大阪 |
試合数 | 306 |
ゴール数 | 873 (1試合平均2.85) |
得点王 |
アラウージョ (G大阪・33得点) |
最大差勝利ホーム試合 | |
浦和 7-0 柏(第27節・10月15日) | |
最大差勝利アウェー試合 | |
東京V 0-7 浦和(第14節・7月6日) | |
最多得点試合 | |
名古屋 5-4 東京V(第8節・4月28日) 鹿島 7-2 新潟(第20節・8月24日) | |
最多連勝記録 | |
7 - C大阪(第22節-第27節) | |
最多連続負け無し記録 | |
16 - C大阪(第19節-第34節) | |
最多連続勝ち無し記録 | |
13 - 神戸(第22節-第34節) | |
最多連敗記録 | |
7 - 大宮(第19節-第25節) | |
最多観客動員 | |
55,476人 - 浦和 vs 名古屋 (第9節・5月1日) | |
最少観客動員 | |
3,267人 - 東京V vs 広島 (第5節・4月13日) | |
平均観客動員 | 18,765人 |
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この項目では、2005年シーズンのJリーグ ディビジョン1(J1)について述べる。
2005年シーズンのJ1のクラブ
[編集]2005年シーズンのJ1のクラブは以下の通りである。この内大宮アルディージャと川崎フロンターレが前シーズンJ2リーグからの昇格クラブである。又このシーズンからJ1リーグのエクスパンションにより参加クラブ数が前シーズンまでの16から18に拡大した。なお、このシーズンからジェフユナイテッド市原がクラブ名をジェフユナイテッド市原・千葉(呼称は「ジェフユナイテッド千葉」)に変更した。
- ※前年成績=J1クラブは前年度の前後期通算順位を記載
チーム名 | 監督 | 所在 都道府県 |
ホームスタジアム | 前年成績 |
---|---|---|---|---|
鹿島アントラーズ | トニーニョ・セレーゾ | 茨城県 | 県立カシマサッカースタジアム | J1 6位 |
浦和レッズ | ブッフバルト | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 さいたま市浦和駒場スタジアム |
J1 2位 |
大宮アルディージャ | 三浦俊也 | さいたま市大宮公園サッカー場 | J2 2位 | |
ジェフユナイテッド千葉 | オシム | 千葉県 | 市原臨海競技場 フクダ電子アリーナ |
J1 4位 |
柏レイソル | 早野宏史 | 日立柏サッカー場 | J1 16位 | |
FC東京 | 原博実 | 東京都 | 味の素スタジアム | J1 8位 |
東京ヴェルディ1969 | アルディレス | J1 9位 | ||
川崎フロンターレ | 関塚隆 | 神奈川県 | 等々力陸上競技場 | J2 優勝 |
横浜F・マリノス | 岡田武史 | 日産スタジアム 三ツ沢公園球技場 |
J1 | 優勝|
アルビレックス新潟 | 反町康治 | 新潟県 | 新潟スタジアム 新潟市陸上競技場 |
J1 10位 |
清水エスパルス | 長谷川健太 | 静岡県 | 日本平スタジアム | J1 14位 |
ジュビロ磐田 | 山本昌邦 | ヤマハスタジアム(磐田) | J1 5位 | |
名古屋グランパスエイト | ネルシーニョ | 愛知県 | 名古屋市瑞穂陸上競技場 | J1 7位 |
ガンバ大阪 | 西野朗 | 大阪府 | 万博記念競技場 | J1 3位 |
セレッソ大阪 | 小林伸二 | 大阪長居スタジアム | J1 15位 | |
ヴィッセル神戸 | 松永英機 | 兵庫県 | 神戸ウイングスタジアム | J1 11位 |
サンフレッチェ広島 | 小野剛 | 広島県 | 広島ビッグアーチ | J1 12位 |
大分トリニータ | 皇甫官 | 大分県 | 大分スポーツ公園総合競技場 | J1 13位 |
監督交代
[編集]チーム名 | 前監督 | 退任日 | 監督代行 | 新監督 | 就任日 | 備考 |
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ヴィッセル神戸 | 松永英機 | 4月19日[1] | パベル(コーチ) | エメルソン・レオン | 4月19日[1] | 外部より招聘 |
エメルソン・レオン | 6月15日[2] | - | パベル・ジェハーク | 6月15日[2] | 育成部コーディネーターからの異動 | |
東京ヴェルディ1969 | アルディレス | 7月19日[3] | 石崎信弘(コーチ) | バドン | 7月25日[4] | 外部より招聘 |
大分トリニータ | 皇甫官 | 8月28日[5] | アーリ・スカンズ(コーチ) | シャムスカ | 9月5日[6] | |
名古屋グランパスエイト | ネルシーニョ | 9月18日[7] | 中田仁司(コーチ) | 中田仁司 | 10月11日[8] | コーチからの昇格 |
レギュレーションの変更点
[編集]- 2005年シーズンから前後期制を廃し、1シーズン制とした。Jリーグチャンピオンシップ(年間決勝戦)なし。これにより全34試合の勝ち点合計で優勝を決める方式になった。
- J1リーグで17位、18位のクラブは翌シーズンからJ2リーグへ自動降格、16位のクラブはJ2リーグ3位のクラブとJ1・J2入れ替え戦に臨む。
2005年シーズンのJ1のスケジュール
[編集]3月にスタートしたシーズンはFIFAワールドカップ・アジア最終予選、コンフェデレーションズカップとの日程調整のため5月14日、15日の第12節で一旦中断。再開後の7月2日、3日の第13節から、7月23日、24日の第18節までの6試合をHOT6と題して開催。HOT6の後1か月近いインターバルがあり、8月20日、21日の第19節から再開した。これ以外にはインターナショナル・マッチデー以外のインターバルは無かった。
リーグ概要
[編集]リーグ開幕直後はスタートダッシュに成功したFC東京が一時首位に付けたが、すぐに失速。10個目のタイトルを狙っていた鹿島がその後首位に立った。一時は2位以下に勝点差10以上をつける独走状態であった。ここで、第3節終了地点で未勝利チームが浦和、千葉、柏、川崎、清水、セレッソ大阪、広島と7チームも出るという異常事態が起きた。セレッソ大阪や浦和に関しては一時最下位になった。全チームが勝利を手にしたのは第7節だった。また近年は下位に甘んじることの多かった広島が2位につけるなどの躍進を見せた。しかしHOT6の前後にガンバ大阪が猛追。鹿島と並ぶ勝ち点に付けた。
このまま、ガンバと鹿島の一騎討ちかと思われたが、両クラブともなかなか勝ち点が伸ばせず、セレッソ大阪、浦和、千葉の猛追を許した。特にセレッソ大阪は第19節以降無敗であった。最終節の1試合前となる33節終了時点でついにガンバ大阪が首位の座を明け渡し、セレッソ大阪が首位に立った。この時点で上から順にセレッソ大阪、ガンバ大阪、浦和、鹿島、千葉に優勝の可能性があり、首位のセレッソから5位の千葉までの勝ち点はわずかに2であった。
最終節は唯一自力優勝の可能性が残るセレッソ大阪がFC東京をホームに迎え、後半ロスタイムまで1点リードしていたが、引分で優勝を逃した。一方川崎とのアウェイ戦に臨んでいたガンバ大阪が4-2と勝利しクラブ創設以来初めてのタイトルを獲得した(詳細は2005年J1最終節を参照)。
前シーズン優勝の横浜は、AFCチャンピオンズリーグに敗退すると、主力選手の不調も重なって徐々に下降し始め、結局タイトル争いに加われないままシーズンを終えた。
本シーズンからJ1リーグに登場した大宮と川崎は、リーグ中盤まではほぼ互角の成績であったが、終盤にかけて大きく勝ち点を伸ばした川崎は賞金圏内(年間7位以上)も見える順位につけたのに対し、中盤から終盤にかけて連敗した大宮は降格こそ免れたものの、下位に沈み大きく明暗を分けた。
残留争いは、神戸、東京V、柏、清水、大分などによって争われ、その後大きく勝ち点を落とした大宮、名古屋などもこれに加わった。特に神戸は記録的ともいえるほどの成績で早々と降格を決めてしまい、東京Vも33節まで残留の可能性を残したものの、この節での残留を争う柏との直接対決で1-5と惨敗を喫し、年間優勝経験クラブとしては初となる降格を経験する事になった。
これらのクラブの中で奇跡的な回復を見せたのが大分で、22節終了時までは最下位神戸と勝点で並ぶ17位に低迷していたものの、新監督ペリクレス・シャムスカが就任すると状況は一転。浦和、ガンバ大阪など優勝争いをするクラブに土をつけるなど、結果的に優勝争いを混沌とさせ、上位チームを苦しめた。最終的に就任後12試合で7勝3分2敗、勝点24をあげ、奇跡的なV字回復を見せた。それまでのチーム状況を一変させたその様は「シャムスカ・マジック」と呼ばれるほどであった。
ジェフ千葉はこの年10月以後、フクダ電子アリーナに事実上本拠地を移転。(市原緑地運動公園臨海競技場と併用扱いだが、市原では以後開催されず)また、大宮はさいたま市大宮公園サッカー場がJ1基準を満たしておらず、開催試合数が制限されたため、準本拠という位置づけで埼玉スタジアム2002などを使用した。横浜国際総合競技場は命名権の締結に伴い「日産スタジアム」に改称。
結果
[編集]順位表
[編集]順 | チーム | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 | 出場権または降格 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ガンバ大阪 (C, Q) | 34 | 18 | 6 | 10 | 82 | 58 | +24 | 60 | ACL2006 グループステージ出場 |
2 | 浦和レッズ | 34 | 17 | 8 | 9 | 65 | 37 | +28 | 59 | |
3 | 鹿島アントラーズ | 34 | 16 | 11 | 7 | 61 | 39 | +22 | 59 | |
4 | ジェフユナイテッド千葉 | 34 | 16 | 11 | 7 | 56 | 42 | +14 | 59 | |
5 | セレッソ大阪 | 34 | 16 | 11 | 7 | 48 | 40 | +8 | 59 | |
6 | ジュビロ磐田 | 34 | 14 | 9 | 11 | 51 | 41 | +10 | 51 | |
7 | サンフレッチェ広島 | 34 | 13 | 11 | 10 | 50 | 42 | +8 | 50 | |
8 | 川崎フロンターレ | 34 | 15 | 5 | 14 | 54 | 47 | +7 | 50 | |
9 | 横浜F・マリノス | 34 | 12 | 12 | 10 | 41 | 40 | +1 | 48 | |
10 | FC東京 | 34 | 11 | 14 | 9 | 43 | 40 | +3 | 47 | |
11 | 大分トリニータ | 34 | 12 | 7 | 15 | 44 | 43 | +1 | 43 | |
12 | アルビレックス新潟 | 34 | 11 | 9 | 14 | 47 | 62 | −15 | 42 | |
13 | 大宮アルディージャ | 34 | 12 | 5 | 17 | 39 | 50 | −11 | 41 | |
14 | 名古屋グランパスエイト | 34 | 10 | 9 | 15 | 43 | 49 | −6 | 39 | |
15 | 清水エスパルス | 34 | 9 | 12 | 13 | 40 | 49 | −9 | 39 | |
16 | 柏レイソル (R) | 34 | 8 | 11 | 15 | 39 | 54 | −15 | 35 | J1・J2入れ替え戦出場 |
17 | 東京ヴェルディ1969 (R) | 34 | 6 | 12 | 16 | 40 | 73 | −33 | 30 | J2 2006へ降格 |
18 | ヴィッセル神戸 (R) | 34 | 4 | 9 | 21 | 30 | 67 | −37 | 21 |
順位推移表
[編集]1節-17節
[編集]18節-34節
[編集]戦績表
[編集]得点ランキング
[編集]順位 | 選手 | 所属 | 得点 |
---|---|---|---|
得点王 | アラウージョ | ガンバ大阪 | 33 |
2 | ワシントン | 東京ヴェルディ1969 | 22 |
T3 | エジミウソン | アルビレックス新潟 | 18 |
佐藤寿人 | サンフレッチェ広島 | ||
マグノ・アウベス | 大分トリニータ | ||
T6 | ジュニーニョ | 川崎フロンターレ | 16 |
大黒将志 | ガンバ大阪 | ||
8 | アレックス・ミネイロ | 鹿島アントラーズ | 15 |
9 | カレン・ロバート | ジュビロ磐田 | 13 |
T10 | 阿部勇樹 | ジェフユナイテッド千葉 | 12 |
巻誠一郎 | |||
前田遼一 | ジュビロ磐田 |
出典: J. League Data
出典
[編集]- ^ a b 「松永英機監督を解任、後任にレオン氏の就任が内定」『J's GOALアーカイブ』、ヴィッセル神戸、2005年4月19日 。2020年3月9日閲覧。
- ^ a b 「監督交代について」『J's GOALアーカイブ』、ヴィッセル神戸、2005年6月15日 。2020年3月9日閲覧。
- ^ 「アルディレス監督契約解除のお知らせ」『J's GOALアーカイブ』、東京ヴェルディ1969、2005年7月19日 。2020年3月9日閲覧。
- ^ 「バドン監督就任のお知らせ」『J's GOALアーカイブ』、東京ヴェルディ1969、2005年7月25日 。2020年3月9日閲覧。
- ^ 「皇甫官監督辞任に伴う アーリ・スカンズ監督代行就任のお知らせ」『J's GOALアーカイブ』、大分トリニータ、2005年8月29日 。2020年3月9日閲覧。
- ^ 「シャムスカ監督 就任のお知らせ」『J's GOALアーカイブ』、大分トリニータ、2005年9月5日 。2020年3月9日閲覧。
- ^ 「ネルシーニョ監督、契約解除のお知らせ」『J's GOALアーカイブ』、名古屋グランパスエイト、2005年9月18日 。2020年3月9日閲覧。
- ^ 「「中田仁司氏」監督就任のお知らせ」『J's GOALアーカイブ』、名古屋グランパスエイト、2005年10月11日 。2020年3月9日閲覧。